患者さんに育ててもらった part2

末期がんでした。

治療する手立てもなく薬ではどうしようもないことをすでに知っておられました

死期を悟られたというよりはあきらめた。そんな雰囲気が印象的な方でした。

元々奥さんが通院されていて「痛みで夜も寝れないみたいだし、昼も外に出歩けないの。なんとかできない?」と相談されました

「はっきりいって分かりません。ですかなんらかの手は打てると思います。」私はそう言いました。

それでも奥さんは「なにも打つ手がないからなにかできる選択肢をもらえるだけでありがたい」

そう言って旦那さんとの初対面でした

想像とは違いすごくニコニコされていました。

足取りはおぼつかないですがとても素敵な笑顔が印象的だったのです。

こんなイイ笑顔な人が痛み?疑問に思いましたが脈を診て確信しました

なんだこの脈・・・

人間の脈はある程度法則性のある脈を打つことは体感から思っていました(人それぞれとは言いますが、ある程度法則性があるものと私は思っているので)

ですがその方の脈は・・・私の感触では「なんだこりゃ」脈だったのです。

まるでバラバラ。ちらかっている。不規則。など

こんなこと初めてでした。

ほとんどの患者さんはその方の顔色、雰囲気、しゃべり方、筆圧、足の運び方など治療に必要な「痕跡」を残します。

その「痕跡」を察知し大体予想ができるのですが(予想はあまりしないほうがいいですが・・・)

その方はあまりにも矛盾した痕跡だったのです。

痛みとしては下肢(主にふくらはぎ)を主訴としておられましたが聞けば聞くほど全身に痛みを発していることが分かりました。

そして毎度のこと患者さんには目標を立ててもらうのですが

「目標?迷惑をかけずに死にたいわい」

とおっしゃいました。

私は何も言えませんでした。冒頭にも述べましたがご自分でも「あきらめた」状態だったのです。

たしかにここまで進行した癌ではほとんど手立てがありません。ですが自分は目標をもって治療を受けてもらうことを信念としています。ですのでなにかないか?と自分でも心苦しく聞き返しました。すると

「うーん。んじゃ笑って死にたいわ」

私はまた何も言えませんでした。

脈はぐちゃぐちゃなのでとりあえず体表察知から痛みを訴えている部分から治療にあたりました。

主に胆経、膀胱経のラインだったのを覚えています。

初回の診察が終わり頂いた感想が「うーん。よくわからんがありがとね」

2回目もほとんど同じ治療で経過観察し、3回目に「足がつらなくなって気がする」とうっすらなにか変わってきていることが体の表面に出てきました。

ですが相変わらず脈は暴れん坊です。

微妙に治療方法を変化させながら数十回ほど経過を診ました。

治療経過は一進一退とのことでしたが、気になることがありました。

この方はここに来るたびずっと笑顔だったのです。

院に来るたびにたわいもないお話をされ、ニコニコ笑顔にこちらもある程度の冗談で応戦する。そんなやりとりをしていました。

回数も増えてきて慣れてきたのか冗談も多少エスカレートしてきます。

そして何回目かの治療後にたまたま私が外に出る用事があったため外に出ると院では見たこともない顔でその方は歩いていました。

駐車場から車までの数メートルを歩いていたのですが、まるで鬼の形相。そう表現するのが一番近いと思います

あれだけ院で冗談や笑顔を振りまいていたのに外に出て歩いた途端この表情だったのです。

おぼついた足取りだったので私は普通なら肩を貸すのですがあまりの形相に声が出ません。

数秒立ってから「はっ!」と思い声をかけ肩を貸しました。

そして「おう。ありがとよ」と言ってまたいつもの笑顔でした。

私は少し後悔しました。

決して治療に手を抜いたつもりではないですが、この方の笑顔と冗談で自分の中で「癌」ということをどこか忘れていたんだと思います。

改めてこの方の症状は「癌」なんだと思いました。

それでも私の胸に刺さったのは「この方が院の中では笑顔」ということです。

この状況を奥さんにお話ししました。すると

「家では痛みですごい形相ですごしているのよ。ここにくるとあの人は笑っているけど家であんな笑顔はみたことないの」

ドーンと心を打たれた気がしました。

私たちが提供しているこの院で笑ってもらっていることではありません。

院では様々な辛い症状の患者さんがみえます。でもそんな患者さんたちが笑顔になってくれる場所。笑顔にさせなきゃいけない場所。

その方は身を呈して私にそんなことを教えてくださっている気がしたのです。

それから半月ほどでその患者さんは亡くなってしまいました。

訃報を聞いて院の昼休み時間にご仏壇へ手を合わせに行かせていただきました。

奥さんからは「ありがとね」と言われました。

でもほんとにありがとうを言いたいのは私です。

このときから治療中に一回は患者さんを「笑わせる」ことを意識するようになりました

「笑うこと」それも一つの治療なのかもしれません。

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