不愛想。ブッキラボウ。かれを一言で例えるならこれらの言葉がピッタリだと思います。
私が小さい時から知っていました。小さい私から見てもこのおじさんは誰とも喋りませんし、愛想が皆無だったので子供だった本能的に私は近づこうとは思いませんでした。
年に一度の親戚の集まりで会うとか会わないとか。会っても「あ、いたんだ」。私とおじさんの立ち位置はそんなかんじでした。しゃべったところはほとんど見たこともありません。
私は思春期真っ只中、ほとんどの男子が通過するであろう反抗期。そんな青い青春を謳歌してた私は10代最後から20代真ん中までこのおじさんとはほとんど会うことはありませんでした。
私が24歳のころ。こんな私を拾ってくれる女性を発見し、無事結婚。
おじさんとはこのときに久々に会いました。
「?だれだっけ?」と再会。正直顔も忘れていました。
結婚をして子供が生まれてからなぜか親戚ほぼ一同が私の家で正月を過ごす。そんな風習ができ上げっていました。理由は不明。
私は親ばかついでに親戚らの前で子供の話、自慢を堂々と繰り広げる毎年になっていました。
しかしおじさんとはほとんどしゃべりません。子供の話をしても全く興味を示しませんでした。
そんなこんなで二人目も生まれ、それぞれ3歳4歳のころ。
私たち家族の中でポケモンが爆発的人気を誇っていました。
子供たちも毎日ポケモンポケモン。私も初代ポケモンをゲームボーイでバリバリやっていた世代ですので知識が子供たちよりあります。ですので自慢ついでに私も久々にポケモン熱にやられていました。
そのときがんばってやっていたのがポケモンGO。
いまや大人気アプリです。
当時は私の周りでやっている人を知らなかったので家族だけでイソイソとやっておりました。
ある年の正月。
いつものように親戚一同が私の家に集まり、いつものように談笑。子供たちもイトコとの久々の再会で異常なハイテンションです。
そんななかおじさんはいつものように我かんせずとじっと椅子に陣取っています。
もはやおじさんのその光景はいつものこと。私たちもあたりまえのようにしか思っておらずほとんどしゃべりかけません。
正月だからみんなで近くの神社へ初詣に行こうとなりました。
おじさんは嫌な顔をしながらついてきました。そしてちょびちょびと歩いた後はすぐに座り込んでしまい地蔵のように動かなくなりました。
聞いたところ、腰が痛くて歩けない。歩けてもすぐに疲れちゃって座っちゃうんだとか。
ああ、そうなんだ。。そのときはただそう思っただけでした。
そしてみんなで家に帰ってきてまた先ほどのようにしゃべり始めます。
ふと子供が「パパ!ポケモンGOだして!」と私に言いました。
なにやら持っているポケモンをイトコに自慢したい様子。
いいよーっと私はなにげなく携帯を取り出しアプリを起動し、子供に手渡しました。
そこで私たちの当たり前の光景が変わりました。あのおじさんがいません。
あれ?と思った矢先、子供たちと一緒に私の携帯をのぞき込んでいるではありませんか。
なんで?私が考えていると「ほう、まあまあだな」とおじさんの開かないであろう口が動きました。
え?おじさんポケモンGO知ってるの?
私たちは驚きました。
「私のを見せてあげよう」とおじさんが自分の携帯をおもむろに取り出しアプリを起動。私たちの前に差し出しました。
うわあ・・・すげええ・・・
ポケモンGOにはレベルという概念が存在します。
当時私たちのレベルは30程度。正直1から30にするまでに約一年半以上かけてそこまで行きました。
レベルは上に行けば行くほど必要な経験値が多く、30から31にするまでに私たちのペースでは半年か下手したら一年ほどやり続けないと到達しません。
おじさんはそのレベルがなんとMAXの40!!
そん所そこらではまずお見掛けできるレベルではないです。
そして持っているポケモンもまるで異次元でした。
こんなポケモンいるんだ・・・どうやってゲットしたんだ?・・・
と、ありえない数と種類、そしてそれらのレアリティ―の高さが私たちとはまるで次元が違いました。
私も正直眉唾ものでした。それよりもおじさんってしゃべるんだ。そんな驚きも同時でした。
「なんなら?ほしいやつあるか?交換してやるぞ?」とおじさん。
子供たちはいっせいにとびかかりました。「おれこれがほしい!」「わたしはこれがほしい!」
「よし。では順番にいこうか」
おじさんがしゃべる姿もほとんど初めてだったので、こんな自慢げなおじさんはもちろん初めて。むしろ椅子から立てるんだ・・・と表現したほうが近いかもしれません。
なんでそんなに強いの?と聞いたところ、実はポケモンGOがリリースしてからずっと継続してやってきたみたいなんです。
奥さんをきっかけに嫌々始めたおじさん。始めはポケモンのポの字も知らないおじさんでしたが、プレイ時間を重ねるごとに徐々にポケモンを詳しくなり今では知らないポケモンはわずか。というレベルにまで到達しました。
またポケモンを捕まえに行くという名目でウォーキングを重ねてきたのだとか。
それまでは自宅で引きこもってばかりでまったく外に出なかったおじさんが、ポケモンをやるようになってからは一日に数回は外に出て歩いてポケモンを捕まえに行く。そんな生活が始まったのです。
経歴はおおよそ5年ほど。
一番ハマっていたときは近所だけでなくレアポケモンが出現する東京、横浜までも新幹線に乗ってイベントに参加しレベルをあげてきたとか。
ポケモンがなかったらとうに死んでいる。おじさんは言いました。
なによりあんな生き生きとしたおじさんを見るのが初めてだったので私たちは困惑してしまいました。
あのブッキラボウ、不愛想のおじさんは瞬く間に子供たちをポケモンという一言で取り込み、この日をきっかけにおじさんは子供たちのヒーローとなるのでした。
2へつづく。。