あれから一年余りが過ぎました。
おじさんは相変わらずポケモンで忙しい毎日。
うれしいことにポケモン以外にも趣味が欲しいと近所の老人ホームまで好きな麻雀をやりに行くようになりました。
ただし車は運転できないのでおばさんが毎日いろんなところに連れて行くようになりました。
車にも長時間乗れるようになり、行動範囲も広がっていました。
おばさん曰くうれしい悲鳴とはまさにこのこと。など冗談を交えながら週に一回治療を続けていました。
そんな春先。おじさんが体調不良でその週の治療を欠席しました。
「おばさんは風邪ですこし寝るみたい。だから来週にしてください。」と連絡を受けました。
季節の変わり目で体調を崩したかな。。私はそんなこととしか思っていませんでした。
そして次の週。いつものようにおじさんが院に来ました。しかし、ある違和感がありました。
目が死んでいたのです。おばさんも元気がありません。
これはなにかあったな。すぐにそう直感しました。
そのあとおばさんと二人で話をしました。なにがあったんだろう
おばさんに言われました。
「余命半年ないだって」
何を言っているのか分かりませんでした。
「は?」私は無意識にそうつぶやていました。
目の前が真っ暗になる。そんな感覚がありました。
先週風邪をこじらせて、そのついでにかかりつけの病院へ行ってきたらしく、そこで担当の先生から「ああ、余命半年ないねえ」とひょいと告げられたそうです。
あまりにもあっさりした余命宣告だったみたいでご夫婦ともにキョトンとしたそうです。
我に返ったおばさんは医者に言ったそうです。
「あなたたちはあっさり言うかもしれませんが、私たちに取ったら命にかかわることなんですよ?」としかし医者はそのまま奥に消えて行ってしまったそうです。
それからというものおじさんは以前のように、いやそれ以上に無口になってしまいました。
自分があと半年生きられない。そう言われたらだれでもそうなると思います。
元気になってきた。いけるかもしれない。そんな矢先だったのでまさに青天の霹靂でした。
その次の週。
おじさんたちはいつも通り治療にやってきました。
でもおじさんがあるものを手に持っています。
「これ、私には不要になった。いつかやろうともって買っておいたゲームです。どうか子供たちとやってください」
私はお断りしました。
まだあきらめるのは早い。こんなの受け取れない。と
「そう言わずに貰ってください。私にはもうなにもないので」
と、返す言葉がありませんでした。
つい最近まで鬼のようにポケモンを取りに行っていたあのおじさんの姿はありませんでした。もう何か死を悟ったかのようなそんな人でした。
それからはしばらくは治療を続けたものの、やはり元気がありません。
いつの間にか好きなポケモンGOもやらなくなっていました。
そして親戚の集まりや、うちへの治療も次第に来れなくなり、しばらく経ったある日。
こちらから無理を言っておじさんの家に往診に行こう!そう思いつきました。
おばさんに連絡を取ると快諾してくださいました。
子供たちを連れていざ!おじさん家へ!
おじさんの家について、私は唖然としました。
そう、動けないのです。
家の中をちょこちょこ歩くだけならギリギリできるのですが、あとはほとんど座るか寝たきりの状態でした。
なにかできないかとおじさん家でやれる範囲の治療を施しました。
その後別室でおばさんと話しました。
やっぱり余命を受けてから気が沈んでしまった。意気がまったくなくなった。らしいのです。
人間の命は本当に儚い。私を含め人間は弱いものだなと改めて痛感しました。
医者の言葉一つで人生が変わる。変わってしまう。これは医者に限らずですが、ほんの些細なことでまるで別人になってしまう。
私は自分の無力を呪いました。
それでもおばさんは言ってくれました。
先生とやれたからここまで元気に長生きできたんだと思うよ。本当にありがとうね。
そう言ってもらえてうれしいですし、悔しかったです。が、涙は出ませんでした。
子供たちも久々のポケモンおじさんを満喫。おじさんも子供たちのパワーに引き寄せられるようにポケモンGOのアプリを起動しています。
「子供たちを見るとやっぱり元気になるねえ。」そんなことを小さな声で呟いていました。
一通りおじさん家を満喫したのち、そろそろ帰るかと
そのとき息子がおじさん家にあった刀を持ってきました。(刀と言っても模擬刀です)
「これ、かっこいい・・・ほしい・・・」
と言った後は、子供独特の無言ネダリ。
なんで刀が?どうやら十年以上前にどこかの土産屋さんで買ってきたとか。
想いで深いもの。それでもおじさんは快くあげるよっと言ってくれました。
息子は大喜び。当時鬼滅の刃が流行っていたので案の定「水の呼吸・・・」と言っていたのは想像難しくありませんでした。
ですがその刀はおじさんの遺品となってしまいました。
それからほどなくして食欲がなくなり、自宅でケアを受けながらおばさん達に見守られながら静かに息を引き取りました。
おじさんらしい静かで誰にも迷惑をかけないかの如くな最期だった気がします。
その刀は今も私の家に飾られています。
それを見るたびに私はポケモンおじさんを思い出します。
ポケモンGOはおじさんにとって一つの外に出るためのツールに過ぎなかったのかもしれません。
ですが、なんだっていい。ひとつの趣味を見つけてそれを長く続けると誰かが評価してくれる。
ポケモンはおじさんと私たちにそんなことを教えてくれたのではないかと思います。
おじさん天国でもたくさんポケモンとってね。そしてあの自慢げな顔を、もういっかい見たいなあ。。