その患者さんは末期がんでした。
元々息子さんを診させていただいておりその息子さんのご希望でご紹介していただきました。
その方の症状はほとんど癌の抗がん剤の影響で背中を中心に身体の節々が痛み、五感が鈍り味覚と嗅覚の消失、24時間苦痛に苦しめられているという状態でした。
息子さんは始める前にこうおっしゃいました
「薬物での医療にもう限界を感じていてこれ以上の投薬は困難だと家族でも判断しました。鍼治療と東洋医学ならあの痛みを少しでも和らげることはできないでしょうか?」
「治す、治さないではなく、痛みを軽減させるということでやれるだけやってみましょうか!」
難しい治療になることは最初から分かっていました。ですが痛みを軽減させるということならなにかしら力になってあげれるのでは?と自分で思い意気揚々と初診を楽しみにしていました。
そしてお身体を拝見、診察をしました。
ここで正直に言いますと最初診た時「これならいける!」と思いました。なぜなら東洋医学的な見立てとして改善させれる根拠が自分の中にはあったからでした
ですがいきなり「これならいける!」と患者さんに伝えることは非常にリスクがありますので「やれるだけやってみましょう!僕にできる範囲で全力を尽くします!」とお伝えしました。
その患者さん(以下Sさん)も「病院では癌だからねえ・・・と目で言われながらの痛み止めでずっと様子でした。もう薬漬けにはなりたくない、もし少しでも良い方向にいけば御の字です。よろしくおねがいします。」
私「そこでSさんに一つお願いがあるのです。目標を一ついただけないでしょうか?」
S「こんな私に目標を持てというのは先生いささか残酷ではないですか?笑」
私「人間どんな状況でも目標を持つことがまず大事だと思っています。そしてそれは治療結果にも反映されることが多いのです。もしやるなら目標を持っていただくのが最初の治療だと思ってください。」
S「目標ですか・・・私は九州の生まれであっちの方へもう一度でも家族で旅行にいけたらと思いますね」
私「ではその目標を見据えて治療を始めましょうか!」
週に2回を基本とし治療を開始しました。
私は東洋医学的な見立てと腰痛などの対処療法を二つに使い分けて鍼灸施術をしました。
主に脈診、望診からベースは脾虚陽虚で診ました。身体の痛いところは色々多すぎてその日その日で違うためそちらはその日にあった対処療法です。
最初に鍼灸をしたところお灸の匂いがとても心地よく途中でグーグー寝てしまいました。
あまりにも寝れたためか起こすときヨダレを垂らしてみえました笑
Sさんはお灸の匂いは昔の田舎を思い出す。この匂いで心が救われるとおっしゃってみえました。
そして初めの治療から三回目でした
いつもヨタヨタと家族のフォローなしでは歩けなかった歩行に変化が見られました。
明らかに勇ましい歩行姿に変わっていたのです。
いつも付き添いできてみえた奥さんもびっくりした様子で「なんか主人が元気になった」と言っていました笑
ご主人も「なんか歩ける気がする。」とおっしゃりその日から何回かみせてもらい約一か月後には日常生活で調子のいい時は散歩を取り入れることができました。
一か月からは少し一進一退でしたが諦めずに来院される姿勢を見ていてこちらも勇気を頂きました。
ある日のこと「先生私抗がん剤を使ってから味覚がなくなっていたのです。それから食べたくないのに食べなければと食事自体が苦痛だったのですが。この前息子とうどんを食べたら味がしたんです」と
後日通院時間帯が違う息子さんに聞いたところ
「そうそう!本当にうどんが旨いって食べたんだよ!」
これを聞いてほんとにうれしかったです。味覚だけでなく失った嗅覚も徐々にでてきて苦痛でしかなかった食事が少し楽しみになってきたとお話しくださいました。
元々難しい問題でしたが自分がその問題になにかしらの力になれたことが本当にうれしかったです。
そして約2か月ほどにはずいぶん元気になり通常歩行や商工会にも顔を出すことができました。
このとき「今まではだれかに送ってもらってここまで来ていたが今なら自分で来れる気がする」とまで言葉にできるほど経過は順調でした。
そして数か月ほどでご家族のスケジュールを合わせられついに念願の家族旅行を達成できました!(九州ではなく近場ではありますが)
もちろんまだまだ正常な状態ではありませんでしたから周りの力を借りなければなりませんでしたがそれでも目標に手が届きました!
私は心からうれしかったです。この調子でいけばもっともっとよくなる、そう確信しておりました。
そして旅行帰りの息子さんに色々旅行の様子を聞き私も自分が行ったかのようにうんうん、とうなづいていました。
しかし息子さんが気になることを途中でお話ししたのです
「親父が重い」
「え?」と私は反射的に聞きかえしました。
「旅行中足に力が入らないって言い出したから僕が持ち上げたんですよーそしたら親父がめちゃくちゃ重かったんですよ」
私はなにやら嫌な予感がしました
そしてSさんが旅行後初めて来院されたときに目を疑いました
そう娘さんの肩を借りて歩いてきたのです
「先生足に力がはいらんのですわ」
経過が良かっただけにとても混乱しました。それだけ私の中で想定外だったのです
そこから先は一気に状態が悪化していきました。
一か月もたたないうちに歩けなくなったのです。
息子さんはお知り合いの力も借りてSさんを自宅介護できるように準備されました。
あれよあれよと気づけばもうこちらの院に来ることもできなくなっていたのです。
病院で検査した結果、癌が横隔膜あたりまで侵行し脊髄の機能および下肢の感覚、知覚を麻痺させ下半身不随様の状態になっていたのです。
私は唖然としました。なにかできることはないかと思いましたが何もできませんでした。
しばらくして通院継続されていた息子さんからある提案が
「先生。親父が往診してほしいって言ってるんだけど」
まさに目からうろこでした。
私なんかが行っていいのかと葛藤はありましたが自分の答えはすぐさまYESでした。
往診で住所を聞き部屋を訪れSさんを一目見て思いました。
あの歩けて、旅行に行っていたころとは別人のような目でした。
いままさに光を失いそうになっている目でした。
もうご自分が長くないと悟られたんだな。自然とそう思ってしまう自分がいました。
ですがなにかやれることはないかと模索しました。するとSさんはこう言いました
「先生。あのお灸持ってきてるかい?」
もちろん持ってきていました。あのお灸が昔を思い出し自分にとっては大きな安らぎになるとのことでお灸だけでもとご希望されました。
どうせなら鍼もと免疫力が低下しているため感染症には十分注意して鍼灸施術を施しました。
それから何回か往診に行かせてもらい、ついに静かに息を引き取られました。
自室に入った時に目に入ってきたのが御家族の昔の写真でした。
口ではとても強情で強がりな方でしたが内心はとても家族思いでやさしい方でした。
私は鍼灸はどんな病気にでも何かしらの力になれるということを常々うたっております。
このときばかりは自分の力のなさをとても痛感し自分を恨みました。
もっとよい選択肢はなかったのか?
旅行に行かせなければ結果はもしかしたら違っていたのかもしれない?といろんなことを考え自問自答しました。
数日たったある日息子さんがいつものように来院されこう言いました
「先生。ありがとうございました。親父は最後まで先生の治療を楽しみにしてました。唯一の楽しみが先生の鍼灸でした。親父に楽しみをくださってほんとにありがとうございました。」
我ながら泣きそうになりました。こちらこそこんな私を頼ってくださってありがとうと言いたいのに・・・
申し訳ない気持ちが大半を占めていましたがその一方で(ああ、これも私がやりたかった医療なのかもしれない)と感じました
結末は抗いようのないことだったかもしれませんが、Sさんで私が学んだことは「患者さんを支える」ということ
結果にだけにすがるのではなく本質的な意味で医療とは人を支えることだと学ばせていただきました。
先生と呼ばれる意味を、年上の方に敬語でしゃべっていただける意味を少し理解できた気がします
もう一度Sさんに会ったら私が言いたいこと、それは
「Sさん!九州旅行の目標、僕はあきらめないですよ!」